ミヒャエル・エンデの作品は私の人生や価値観に大きな影響を与えているものの1つです。
『はてしない物語』は中学生の時にはじめて読んで、それからずっとファンタージエンの様々な生き物たちやバスチアンが最後の望みを見つけ出すまでの冒険は私の心に根付いています。
この物語は、とくに物語を愛する人におすすめしたいです。
あかがね色の本
この物語はバスチアンという少年が不思議なあかがね色の本と出会うことから始まります。
たまたま古本屋で見つけたその本がどうしても欲しくなってしまったバスチアンは、あろうことかその本を盗んでしまいます。
「耳をまっ赤にし髪をくしゃくしゃにして、日の暮れるまで本の上にかがみこみ、まわりの世界を忘れ、空腹も寒さも感じないで読むに読む、そんな経験のないもの―、
父とか母とか、それともだれか世話ずきの人に、あすは朝が早いんだからもう寝なくてはという親切な理由で電灯を消されてしまい、布団の中で懐中電灯の明かりをたよりにひそかに読みふける、そんな経験をしたことのないもの―、
すばらしい話も終わりにになり、数々の冒険をともにした人物たち、好きになったり尊敬したり、その人のために心配をしたり祈ったりした人物たち、かれらとともにすごせない人生など空虚で無意味に思える人物たちと別れなくてはならなくなり、人前であれ陰であれ、さめざめと苦い涙を流す―、
そんな経験の一つもない者には、おそらくバスチアンがこの時しでかしたことが理解できないだろう。
バスチアンは本の題名に目を吸いよせられたまま、体がかっと熱くなり、またぞっと寒くなるのを感じていた。これこそ夢にまで見たもの、本きちがいになってからずっと望んでいたものだった。けっして終わりにならない本。本の中の本!1982年 岩波書店発行 ミヒャエル・エンデ著『はてしない物語』 17P~18Pより引用
本を盗むのは犯罪ですが、この文章を読んで共感してしまう方には、是非この『はてしない物語』を読んでみていただきたいです。
幸いなことに、盗まなくともおそらく図書館などで探せばあります。
上下にわかれた文庫本もあるみたいですが、できれば1冊の単行本で読んでいただきたいです。
なぜなら、バスチアンが出会ったのはあかがね色の「はてしない物語」というタイトルの本―そう。バスチアンが出会った本は、この本そのものなのです。
(※購入する場合はカバーがありますが、中身はあかがね色の本です)
ちなみに私はこの本が大好きすぎて、本の絵を描くときは赤~赤紫っぽい色にしてしまうことが多いです。アイコンにしているこのイラストの本も、実はちょっぴり『はてしない物語』をイメージしていたりします。
この世界とファンタージエン
この物語を大きく2つの部分にわけた場合、前半は「私たちの住む世界とファンタージエン」がテーマになっているように思います。
バスチアンが『はてしない物語』を読み始めると、それは虚無という恐ろしいものによって危機に瀕しているファンタージエンという国の話でした。
何もなくなってしまう「虚無」が各地で発生し、それがどんどん広がっているというのです。
その問題を解決するためにアトレーユという少年が冒険に旅立ち、私たちの住むこの世界とファンタージエンの関係、そして今2つの世界に問題が起きていることが判明していきます。
本当の望み
この物語を大きく2つの部分にわけた場合の後半はバスチアンの「本当の望み」を見つけるための冒険です。
ファンタージエンのため、そして自分自身が進むために「望むこと」を求められたバスチアンでしたが、それは、単に「したいことをする」ことではありませんでした。自分自身が真に欲すること―「真の意志」を見つけなければならなかったのです。
何かを望み、それが叶えられるたびに失われていくかつての記憶。
「真の意志」とはなんなのか?
バスチアンとともに、自分自身の「望み」について考えて、そしてたどり着いた場所で、あなたは何を思うのでしょうか?
まとめ
先日ちょっと人生で迷うことがあって、久々に読み返したら、「ああ、やっぱりこの本は私の聖典…!!」と思いましたので、紹介文を書いてみました。
久々に読み返すと、以前とは違う部分が響いたり、覚えていた部分でもより鮮明に感じたり感動したり…やっぱりエンデは最高です。
ミヒャエル・エンデの作品はファンタジーでありながら人生や社会についても考えさせられるので、人生に迷った時や考えたくなったときに読むのもおすすめです。
道徳の教科書や一部の本のように思想や教訓を強く押し出しているわけではなく、物語として完成されているのに、物語を読むうちにするすると人生や社会についても考えてしまうという絶妙さがまた…!!
というわけで、よろしければミヒャエル・エンデ『はてしない物語』、どうぞ読んでみてください。
ちなみに同じミヒャエル・エンデの『モモ』も良いですよ!
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。